Defender of the Faith
そう呼ばれるほどに、彼は熱心なカトリック信者でした。
時はあたかも、宗教改革の時代。
ドイツではルターが、スイスではカルヴァンが、それぞれ極めて宗教的な動機で宗教改革を始め、やがてヨーロッパ中に広まった彼らの支持者たちは、「プロテスタント」(抗議する人)と呼ばれるようになりました。
ところが、イギリスの宗教改革の始まり方は、ドイツやスイスのそれとは、随分と様子が違っていたようなのです。
ヘンリー8世には、父王ヘンリー7世の後継者として期待されながら、若くして亡くなった兄アーサーがいました。そして、このアーサーに先立たれ、未亡人となった女性もいました。
キャサリン・オブ・アラゴン。
スペイン王女であり、後にヘンリー8世の最初の妻となる女性です。
( ‘ω’)エッ…
そう。実の兄の未亡人と結婚することは、カトリックの教えでは許されないことでした。でしたが、ローマ教皇から特別な許しを得て、二人の結婚は実現したのです。
しかしその後、二人の婚姻関係に暗雲が。
彼らは、王位継承者となる男子に恵まれなかったのです。
しかも、それだけではありませんでした。
ヘンリーには、王妃キャサリンの他に、胸を焦がし、恋い焦がれる女性がいたのです。
アン・ブーリン。
ヘンリーの宮廷で、王妃キャサリンに仕える侍女の一人でした。
よもやこの恋が、結果的にイギリスに宗教改革の波をもたらし、ついにはカトリック教会との決別という結末をもたらそうとは。このときのヘンリーは、思わなかったかもしれませんね。
To be continued…?