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芸術科教員の受験思ひ出

気付いたら、教員の大学受験記録のマガジンが存在していた。
聞いてみると、書いてみませんかとのことだったので、せっかくだから書いてみようと思う。

ごきげんよう、教員Hです。

「大学受験の思い出」とのことですが、教員Hの「the受験生」というのは高校受験の頃の方が濃密でした。

裕福な家庭ではなかったので、大学に行きたいなら公立高校に入ること、私立高校に行くなら絶対国公立大学、叶わないなら叔父さんのところ(土木系)で働きな。と中学入ったくらいの頃から言われていました。

得意教科は高得点、高偏差値を出していたけど、苦手教科は平均以下、時には赤点ギリギリな自分だったので、中学生の頃から国公立大学は考えていませんでした。

なので、地元の県立高校(自転車で15分)を第一志望とし、最初は嫌々でしたが中2の終わりごろから塾に通わせてもらいました。

塾の先生(当時は知らなかったけどバイト講師の大学4年生だったらしい)も面白い人ばかりで、土日も朝から夜まで13時間くらい塾にいました。先生と一緒にカードゲーム(デュエルマスターズ)やったり、ラーメンおごってもらったり、1/4は遊んでたような気がしますが、北辰テスト(埼玉県内の統一模試)の過去問で、得意科目だけですが満点取れるようになったので、それなりに勉強も頑張ったんだと思います。

滑り止めで1校だけ私立高校を受験しましたが、第一志望の県立高校も倍率の低下もあって無事合格。家庭的に私立大学を受験する資格を手に入れました。


書道と国語の教員免許を持つ教員Hですが、中学生当時の得意科目は理科と数学。特に理科だけは高偏差値を出すことができました。

当時の夢も「理科の先生」。幼少時代から生き物や機械が好きで、中学の理科の先生が面白い人だったのもあって、同じ仕事してみたいなという理由でした。

行きたかった大学は、いとこが通っていたこともあって東京理科大学。(知ってる大学がそもそも少なかったこともありますが。)

当然、高校での文理選択も理系でした。

なのに行った大学は、文系大学の文学部。

なんでやねん!っていう答えは単純で、高校で勉強しなかったからです。

1年の化学は平均点、2年からの生物はまぁまぁ良い点数、物理は赤点ギリギリ、数学も数Ⅲ、数Cまでやりましたが、赤点ギリギリ。逆に理系だったので現代文は簡単で毎回いい点数でした。

授業は寝ないし、ノートはきれいに取ってたので、「授業態度はすごく真面目なのに点数に繋がらないねぇ」と各教科の先生から言われてました(笑)

2年の夏ごろから大学受験に不安を(周りが)抱え始め、当人は3年に上がるころになってやっと「行ける大学ないんじゃないか?」と思い始めました。

教員になって今を振り返ると、こんな生徒担任したくないなと思います(笑)担任のAちゃん先生、ごめんなさい。

田舎の県立高校なので、受験!受験!大学!大学!という雰囲気はほとんどありませんでしたが、「先生になりたい」という夢はどんなに成績悪くても持ち続けていたので、個人的に大学は無視できません。

ただ、小学生から続けていた習字と、高校1年の夏から入部した書道部が楽しくて、書道の先生も面白そうだなと高2くらいから思い始めていました。

さらには、当時フジテレビの深夜のアニメ枠「ノイタミナ」で「ハチミツとクローバー」(原作:羽海野チカ)が放送されていたこともあって美大を調べてみたり(すぐ影響される)、興味を持ち始めていた文化財の保存修復の勉強ができる東北の芸大の資料を請求してみたりと、高3の夏までは勉強しないでフラフラしていました。(ホントこんな生徒担任したくなかっただろうなぁ)

いよいよ受験方針を決めなきゃいけない時期になり、高3の秋、文化祭が終わった頃に書道部の顧問の先生から、文系大学文学部書道学科を教えてもらいました。

11月の推薦入試は書道実技と面接。評定もよろしくないので、自己推薦入試を受けましたが不合格

2月上旬の一般入試は現代文と英語の2教科受験と、書道実技も入れた3教科受験があったので、全日程を受験することにしました。

赤本を手に入れ、解いてみると、現代文もまぁまぁできたし、英語もそれなりにできました。授業ちゃんと受けてて良かったです。(←ここ大事)あとは単語だけ頭に入れておけばいけるだろうと、電車でよく見る、付箋やら折り目やらがたくさん付いた英単語帳を持つ、いわゆる受験生の雰囲気を12月頃から醸し出し始めました。今思うとホント遅すぎますね。


いざ、受験当日。

やばい。

やばい奴がいる。

社会人入試って同日?同部屋なの?

推薦入試の時は一番前の席だったこともあって、周りにどんな人がいたのか分かりませんでしたが、一般入試の時は後ろの方だったので、周りが見えたんですね。

スーツを着た、ガタイのいいイカツイのがいたんですよ。180センチ、90キロくらいの、ピアスの穴隠す気ないだろ、ってくらいすごいのが。けっこう衝撃でした(笑)

さらに、実技試験の時はジャージに着替えてもよい、となっていたんですが、その人は紫のプージャー(プーマのジャージの略)。完全に田舎のヤンキーの風貌だったんですよ(笑)

一般入試3教科受験の当日の思い出は、印象が強すぎてその事しか覚えてません(笑)

結果は恥ずかしい話ですが、補欠合格。国公立大の合否発表後に合否が確定するというものでした。つまり、国公立受かった生徒が辞退したらあなたを繰り上げで入れてあげますよ、の状態です。

同時に受けていた文学部中国学科は合格していたので、書道の勉強ができることは確実になっていましたが、一応ギリギリまで待つことにしました。担任からは「これからは中国の時代かもしれないから、中国の歴史とか言葉とか勉強しておくといいかもよ」と言われていましたが、書道をより専門的に学びたいという気持ちが強かったんですね。

(今思うと、担任は生物の教師だったのに「これからは中国の時代かもよ」と言ってたんだからすごいなぁ。ホントにそうなったもんなあ。)

合否連絡の当日、何時から随時連絡しますという時刻から数分後に電話が鳴りました。結果は繰り上げで合格。電話口でどうしますか、と聞かれました。

書道学科は中国学科より40万円ほど学費が高くなるので、家庭の経済状況的には中国学科がいいんでしょうが、勉強したい気持ちもあったため、一度返事を待ってもらい、父親に連絡。承諾を取ってから大学に電話を掛け直しました。

「書道学科でお願いします」

それからは高校卒業、大学入学まであっという間でした。

そして入学式。いたんですよ彼が。

紫プージャーのイカツイ彼が(笑)

同い年でした(笑)スーツ受験だったのは、私服高校だったからだそうです。

そして今では親友です(笑)



自分のことを話し(書き)始めると長くなるのが悪い癖です。まとめないといけませんね。

今の受験生に言えることはほとんどありません。落ち着いて頑張れ!周りにいるやつが入学式で近くに座ってるかもしれないぞ!なんならオリエンテーションで一目ぼれした女性と10年後結婚しているかもしれないぞ!

これから受験期に入ろうとする2年生諸君。遊ぶことも大事だけど勉強しなさい!勉強しないことは選択肢を捨てることと同義だと思います。

そして志望校で悩んでいる諸君、視野が狭すぎる!最近はいろんなツールがあるんだから、もっと時間を割いて調べなさい。自分がやりたい事ってなんだろうとか、どこに行けば学べるんだろうとか、調べたり触れてみないと永遠と分からないから。

補欠合格とか、恥ずかしい話ばかりですが、反面教師にしてもらいたいので包み隠さずお話ししました。

去年担任をした生徒にも話しました。たくさんある選択肢の中から選ぶ楽しさと、その道しか残っていないと気付く絶望とどっちがいい?と。自分が苦しかったこと、つらかったことなど、同じ思いをしてほしくないので、クラスではいろんなことを口うるさく言ったつもりですが、のんびり屋さんはチラホラいましたね(笑)あと、あまり言いすぎても逆効果なんですね。

マッキー先生も言っていた通り、目的は受験ではなく、その先にあるものです。私は運よく目的地まで来れましたが、それまでの道のりでは扉が閉じられていたり、険しい道だったり、高校時代勉強しなかったツケがあらゆるところに影響していました。この経験は、ある種の「しくじり先生」として時々生徒に話したいなと思います。

長々とお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m

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