0915➡1021
慶長5年9月15日天下分け目の「関ケ原の戦い」の日です
日本が西軍東軍に分かれ、岐阜の関ケ原に位置し、
石田光成vs徳川家康
という両雄が激突
戦国時代から江戸時代へと大きく変えた戦であることは間違えありません
関ケ原の戦いは、1600年と教わっています
西暦(グレゴリオ暦)が確定した1582年(天正10年)から日本が西暦を採用した1872年(明 治5年)まで、この291年間の歴史は二重の日を持っており、さまざまな混乱、誤解のもととなっ ています。
たとえば
元禄15年12月14日の赤穂浪士の討ち入りは 西暦1703年1月30日(火曜日)
安政7年3月3日、 井伊大老が雪の中で殺害された。 この日は新暦では、東京で滅多に大雪は降らな い3月24日(土曜日)だったのです。
そして関ケ原の戦いはというと、
慶長5年9月15日は西暦1600年10月21日(土曜日)
美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた合戦
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