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ささのはさらさら

7月7日は七夕(たなばた)ですね。

ということで、7月のポスターを作ってみました。

七夕

ところで、7月7日なので、漢字で七夕と書くこと自体は、まぁわからなくもないんですが、なんでこれで「たなばた」?

って、思ったことありませんかね??

(ちなみに小さい頃はカタカナの「セタ」に見えていたものです。本当に小さい頃ですよ💦)

今日よく知られている織姫と彦星の話は、奈良時代に中国から伝わったそうですが、実はそれ以前の日本に棚機と書いて「たなばた」と読む神事があったのだとか、神に捧げる機を織る 棚機津女(たなばたつめ)なる女性がいたのだとか言われているのだそうです。

そこへ中国から伝わってきたのが、乞巧奠(きこうでん)なる行事。

中国ではどうも、漢王朝の時代(だとしたら、日本が弥生時代だった頃)から、織女と牽牛の伝説があったようです。言うまでもなく、織女というのが日本でいうところの織姫のことで、牽牛というのが彦星のことですね。

なぜ彦星というのかも調べてみました。
彦(ヒコ)というのは、古代日本の男性に付ける美称だそうでして、女性に付ける姫(ヒメ)の対義語的なものなんだとか。織姫に対して、男性を表す星ってことなんでしょうね。ほーん。

夏の夜空には、ちょうど天の川を挟むような形で、こと座のベガわし座のアルタイルが輝きます。

ちなみにこれに、はくちょう座のデネブを加えたものが夏の大三角です。
今回作ったポスターでいうと、織姫の右手辺りがベガ、彦星の腰の☆辺りがアルタイル、SEISOKUの E の上の方にあるオレンジ色の短冊の辺りがデネブですかね。

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どうも、旧暦の7月7日頃(現在使われている新暦でいうと、完全に8月です)が最も輝く時期みたいでして、これがいつしか、「1年のうち、この時期にだけ、川を挟んで会うことのできる男女」という伝説になっていったのだそうな。

遅くとも中国の南北朝時代(北魏の建国~隋の建国:日本でいうと古墳時代~飛鳥時代頃)までには、「7月7日」という明確な日付まで固まったのだそうです。

この男女のうちの女性(織女)は、天帝(神様)の娘なのだそうで、真面目で勤勉、そして機織りがとても上手なのだとか。

そしてこの織女の結婚相手として、父・天帝が選んだのが、牛飼いの牽牛

ポスターにも機織り機と牛さんを入れようとしていたのですが、どうにもゴチャゴチャした画面になってしまうので、やめたのです。。

二人は結婚してとても仲良く暮らしましたが、一緒に遊んでばかりで一向に働かなくなったので、怒った天帝は二人を引き離してしまいました。

しかし二人があまりにも嘆き悲しむので、見かねた天帝は、1年に一度だけ、7月7日に会うことを許したのでした・・・。

という、有名な物語が、だんだんと形作られていったのでしょうね。

そしてこれまたいつしか、中国では7月7日は、織女にあやかって女性が機織りの上達を星に願う日となり、さらに書道など機織り以外の技芸の上達も願うようになり、最終的には、いずれにしても何らかの願い事をする日となっていったのだそうで・・・。

この7月7日に願い事をする中国の宮中行事が、先程も触れた乞巧奠(きこうでん)なのだとか。

乞巧奠とは、「技巧を授かるよう(つまり、上達するように)、神に供え物をして祭る」というような意味なんだそうです。

そしてこれが、もともと 棚機津女(たなばたつめ)なる概念があったっぽい日本に伝わり・・・

ということは、なんだかチョットわかったような気がしてきましたね?

日本で「七夕」と書いて「たなばた」と読むのは、どうやら日本古来の棚機津女と中国の乞巧奠とが融合してできた文化っぽいですね!


・・・などと書いてきたのですが、このテの解説って、ちょっとググればいくらでも出てくるんですよねー。

そして今回は、全体的に持って回ったような言い回しになってしまいましたが、伝承の類にはまー本当に諸説あるものでして。もしこの記事を読んで、七夕の由来に興味が湧いた人がいましたら、ぜひ探究の扉を開いてみてくださいね。


最後に。
今月のポスターには、「いつも笑顔でいられますように。」と書いてみました。

実はこれには、自分だけじゃなくて、みんなが笑顔でいられるようになるといいなあという想いを込めました。

まだまだ続くコロナ渦で、多くの人が不安に苛まれていることと思います。
また、このところの相次ぐ集中豪雨で、各地で大変な被害が出て、つらい思いや悲しい思いをしている人がたくさんいます。

つらい思いをしている人に、軽々しく「頑張って」とか「元気出して」とかは言えません。。。

だからというわけではありませんが、せめてひっそりと願わせてもらえたらと思うのです。。

みんなが「いつも笑顔でいられますように。」と。

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