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『鉄オタが行く万世橋歴史探訪;辰野金吾氏を追って』
こんにちは!鉄道模型研究部のM.Sです。
今回自分は東京駅を造った辰野金吾氏を追っていくうちに万世橋周辺のディープな鉄道遺産にたどり着きました。
万世橋は、去年(2024年)の6月にも投稿されているとても有名なところでありますが、今回は鉄道模型研究部の視点から万世橋周辺の歴史について書いていこうと思います。
まずは基本情報から。
万世橋駅は昔中央本線にあった駅で、2006年までは交通博物館が有った場所です。現在はマーチエキュート(mAAch)として営業している施設で、御茶ノ水駅と神田駅の間に有り、秋葉原駅とも近い場所にあります。
万世橋(萬世橋)の名前の由来は1873年(明治6年)、昌平橋よりも少し下流に架けられた「萬代橋(よろずよばし)」に由来します。
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万世橋駅の歴史は1900年代初頭にまで遡り、中央本線の中でも中央快速線の前身である甲武鉄道が終着駅として計画されていた駅です。
ですが、万世橋駅への敷設工事中の1906年に国有化され、官営鉄道の中央線の駅として開業することになります。中央本線は元は別々の私鉄であり、それらを国が買い取り、1つの路線になったのが今の中央本線です。
1908年には万世橋駅の仮駅として昌平橋(しょうへいばし)駅が開業しました。この駅は万世橋駅の手前、昌平橋跨線橋付近にあったとされています。
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1912年、万世橋駅が開業、それに伴い、仮駅の昌平橋駅が廃止になりました。
万世橋駅は赤レンガでできた駅舎が特徴で、駅舎の設計は東京駅や日本銀行本店を手掛けた辰野金吾氏によって行われました。東京駅は1914年開業のため、赤レンガを使った初の駅舎建築はこれなのでは無いかと思います。レンガは深谷産のレンガを使っており、これは耐久性が高かったからではないかと思われます。また、レンガで作られた建造物には支える部分に石が使われており、これは建物の耐久性を高めるための物だと思いました。
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万世橋駅は当初名古屋から続く中央本線の終着駅として機能し、上野や東京駅などに向かう東京市電(当時は都ではなく市だった)のターミナルとしての機能を持っていました。そのため、階段なども華やかなものになっていました。
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また、階段は途中で踊り場になっていて、そこを昔は東京市電が走っていたそうです。材料には当時高価だったコンクリートが使われており、そのことから開業にそうとうな気合いを入れていたことがわかります。
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開業してから東京市電のターミナル駅とゆう地位に立っていた万世橋駅でしたが、開業から7年後には廃れ始めることになります。
1919年、中央本線が神田駅まで延伸開業することになります。それにより、万世橋駅は途中駅化することになり、上野駅や東京駅へのアクセスも神田駅で山手線に乗り換えることで済むようになり、万世橋駅は衰退していきます。その4年後の1923年、関東大震災が発生しました。この大地震により万世橋駅も被害を受け、駅舎は半壊しました。その後、万世橋駅は死体安置所として使用されました。翌年には仮駅舎にて営業を再開しました。
1929年には須田町交差点の位置変更が行われ、それにより東京市電の万世橋駅前乗り入れは廃止になり、開業してから僅か17年で東京市電のターミナルとしての地位を完全に失いました。
1936年、東京駅から旧鉄道博物館(後に交通博物館へ改名)が移転してきます。それによって駅舎は旧鉄道博物館部分を残し解体され、開業当時の階段は旧鉄道博物館の特別来館口(駅のホームから直接入れるようになっていた)となり、1935年に新しく階段が整備されました。この階段は全ての段がコンクリートで作られており、開業当初の華やかな雰囲気は無くなっています。
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また、この2つの階段を比べると、開業当初の階段のほうが高級感があるのがわかります。これは、以前あった交通会館が万世橋駅から直接行けるところにあり、威厳を持たせるために作られたと思われます。そして1943年、ついに万世橋駅が休止駅になってしまいます。それと同時に旧鉄道博物館の特別来館口も廃止になり、事実上の廃駅になってしまいました。
その後、ホーム部は何度か公開されましたが2006年の旧鉄道博物館閉館を皮切りに駅舎の本格的な解体が開始され、2010年までに駅舎は旧鉄道博物館と共に解体されてしまいました。そして万世橋駅周辺の再開発が開始され、旧鉄道博物館跡地にはJR保有の高層ビルが建設されました。万世橋駅跡地はマーチエキュートとして再開発され、今は万世橋駅の歴史を伝える施設となっています。
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今回調べた感想ですが、万世橋駅は東京駅の前身みたいな存在であり、昔から栄えていた場所だとわかりました。また、中央本線神田駅延伸後からの衰退が大きいことがわかり、もう少し廃れない工夫は無かったのかと思いました。最後に顧問が自分と取材している時に奇跡的に撮影できた写真を載せて締めとさせていただきます。
ここまでのご閲覧、ありがとうございました!
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