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Monday
週の初日から肩が痛い💦
またこの話かと思いきや、、、
今日は、実は前にも少しふれた話題でもあり、昨日のなぜ「神田○○町」がそこまで多いのか?ということを少し一緒に紐解いていきましょう!
146年前に遡る
実は、146年前、明治11年(1878年)の「郡区町村編制法」による「15区」だったのです。
現在、東京は「東京都」という区分で、その中に「23区」があり、23区以外は○○市、○○村などの呼び方で分けている。
しかし、「23区」になったのは
なんとなんと!昭和22年(1947)とのこと。
そしてこの原型となったのは、146年前の「郡区町村編成法」だそうです。
なんと、東京は「都」でなく「府」だった?
ちなみに、東京「都」になったのは昭和18年(1943)のことだそうです。
それまでは、江戸から東京に改称した慶応4年(1868)からの80年間ちょっとは、東京「府」と呼ばれていたそうです。
中馬幹弘様は、文中に「もしかしたら小池府知事だったかも?」と冗談を言っています笑笑
15区の呼び順は麹町区を筆頭に、のを描く順番で呼ぶのが定例だったという。こちらは東京都台東区による資料。台東区は下谷区と浅草区が合併して誕生したそうです。
15区が成立した明治11年から11年後の明治22年(1889)に、郡区町村編制法に代わり「市制」「町村制」が始まった。これにより、15区の区域を「東京市」とすることになった。
たとえば、神田区の場合、
東京都東京市神田区という地名になったとのこと。
明治27年(1894)に完成した東京府庁舎。明治31年(1898)に開庁した東京市役所も建物内に設置された。後、昭和18年に東京都庁舎になり、現在は「東京国際フォーラム」となっています。都庁が有楽町にあったのってみなさん意外にも忘れてたりしていませんか?
そして、昭和7年(1932)に周辺5郡(6郡から合併で5郡に減っていた)を合わせて「35区」になり、昭和18年には東京府と東京市を廃止
「東京都」が設置されたそうです。
ここで、神田区は
東京都神田区 になったとのこと。
第二次世界大戦が終わり、ようやく戦後復興が本格化し始めた昭和22年3月、35区は「22区」に整理統合されました。
あれ?まだ22だぞ!と
同年8月に練馬区が板橋区から別れたことで、
ついに現在の「23区」が誕生
その時、旧15区の地名は23区へ、残念ながら引き継がれることがなかった。
これが、ミステリー解明の核心なのである。と中馬幹久様が言っております。