学於note ~流れに身を任せ~
ごきげんよう!
正則学園お勉強noteの国語編「学於note(ガクオノート)」も5回目となりました。
下書きに置いておいたら、いつの間にか記事のストックが無くなっておりました(笑)
毎日連続投稿のためにも、期末テスト作りや採点をしなくていい芸術科教員が頑張らなくてはね。
(ちなみに教員Hも11月上旬、中旬は展覧会だったり文化部祭の準備でてんやわんやしておりました。文化部祭当日は再びくりえみさんのアテンドをさせていただきました!!また記事を書かせてもらおうかな)
さて今日も、漢文の名言を味わいながら「へぇ~」と思ってもらえたらと思います。ここまで250字くらい前フリを書いてますが、まだ何について書こうか決めないで見切り発車しています!
まずはいつものように読んでみよう
さて今日のお題です。授業しながらどうしようかなと考えておりました。(2学期最後の授業週のお話です)
萬事随縁是安楽法
毎度言っている通り、私も文法の話は好きではありません。
こういう切れ目の分かりづらい文が出てきたら、2文字とか3文字で区切ってみましょう。
まずは「萬事」
「萬」は「万」です。「万」は「よろず」と読み、意味は「たくさんの、多くの」、文脈によってはもっと広く「大体の、ほとんどの」と捉えてもいいでしょう。
つまり「萬事(ばんじ)」とは「多くの物事は」とか「ほとんどの事は」とか、もっと簡潔に言えば「なんでも」と訳せます。
次に「随縁」
「随」は「したがう」という動詞ですね。ガクオノート第2回を読んでくださった方は、動詞が出たらどうしたらいいか分かりますね。
動詞の後には「何を?」「何に?」などが続きます。するとここでは「縁に随う」と読むことができます。「縁」はそのままの意味です。
次の「是」は「これ」と読みます。指示代名詞というものです。
「安楽」は「安らかで楽しいこと」の意です。「安」という字にはいろいろな使い方があるので実は厄介ですが、今日は割愛です。
「法」は法律ではなく、「方法」という意味で読みましょう。
さて、これで細切れにされた言葉の意味が並びました。
続けて読んでみましょう。
萬事随縁是安楽法(ばんじえんにしたがうはこれあんらくのほう)
何事も縁に随うこと、これこそが安らかに楽しく生きる方法である
読めてしまえば割と簡単な内容な文章だと思います。文字の順序をひっくり返して読むところも1か所だけでしたね。
さて、この文の言うところは何なんでしょう。ちょっと深掘りしてみましょう。
昔の人も求めるものは同じなのね
教員Hは篆刻家なので、少しそのことを交えてお話ししますと、
約2000年ちょっと前、中国の春秋戦国時代には、現在の印(はんこ)のようなものが使われるようになりました。当然自分の氏名などを表すものが多いですが、中にはおめでたい言葉など、自分の願うところの言葉を印にして持ち歩くことをしていました。
今回の「安楽」や、長寿を願う「寿」、願いが叶うことをいう「得志」、良いことが起きますようにと「日利」や「大吉」などがそれにあたります。
2000年前の人たちも、現代の私たちと同じように、平和や健康長寿、思いが実現することを願っていたわけです。どんな時代も、人って変わらないんですね。
「安楽」とは「安らかで楽しいこと」とそのままの訳ですが、病気や煩わしいこともなく、楽しいことをして過ごすという意味でしょうか。
今っぽく言えば、「ストレスのない暮らし」ということでしょうか。
そのための方法として「萬事随縁」だよ、と。つまり何事にも成り行きにしたがって行動するのがいいよっていうことなんですね。
そういうスタンスで常に行動するってとても難しいですが、教員Hはちょっと憧れます(笑)
大学を卒業して最初に働いた学校も、人と人の「ご縁」で紹介されて勤め始めました。敢えて変な言い方すると「コネ」というやつです(笑)
この正則学園に勤めたきっかけも、「ご縁(コネ)」でした。
だから教員Hは、あちこち履歴書送ったり、面接したりという、一般的な就職活動したことないんですよ。(就活中の大学3,4年生には申し訳ないけど)
篆刻の師匠についた時も「ご縁」でした。カルチャーのアシスタントのバイトを頼まれて行ってみたら、実は同郷だったという縁で師事しました。
教員Hの大人になってからの人生は「ご縁」でできています。一度結んだ「ご縁」はできるだけ大事にしたいと思っています。「ご縁」で話が広がっていったり、人生豊かになったりしますからね。
成り行き任せがストレスフリー?
少し話が逸れたので……、雑な言い方ですが、今回の言葉ってこういうことでしょうか?成り行き任せがストレスフリー。すごく乱暴な表現(笑)
現代社会には様々なストレスが~、とか言われてそうですが、みなさんが一番ストレスに感じるのはどんなことですか?
教員Hが思うに、ストレスの根源って「自分の思う通りではないもの」に感じませんか?
家に帰ると1歳半になる子供がいるんですが、自分の思うようにいかなかったり、「これはダメよ」と、興味を持ったものを取られたりすると泣き叫びます。
「これはこうしなきゃいけない」とか「こうあるべきだ」「ああしたい、こうしたい」というものをたくさん持っている人って、たくさんのストレスを感じている気がします。
最近よく聞くようになった「多様性」という言葉。
世の中いろんな人がいろんな考えを持って生きています。当たり前の事なんですが、忘れがちです。
だからいろんな意見があっていいはずなんだけど、みんな自分のものさしを持っていて、どうしても手放せないんですよね。
そのものさし以上のことがあると人はモヤっとして、そのモヤモヤがストレスになっちゃうんですよね。
それを解決する方法として「萬事随縁是安楽法」という言葉があるのかなと思うのです。
また、先人は「知足」(たるをしる)という言葉を残してくれています。この言葉だけで一本記事を書けたと思いますが、ここで使っちゃいましょう。
「足るを知る」とは、「自分の身分相応を自覚し、満足のレベルを知る」ということです。
自分のものさしはなかなか手放せないものですし、アイデンティティの確立のためにも大切なものだと思います。ですが、「ああしたい」「こうしたい」という「欲」は簡単に手放せるものではないですか?
映画やドラマ、マンガやアニメでも描かれている通り、強欲は破滅に向かうのですよ。意固地になったバイキンマンが「ばいばいきーん!」と飛ばされていくのを、子供と一緒に毎日見ています。(録画のエンドレスループ)
今回紹介している言葉は禅の言葉が元になっているので、そういう方向性の話になっていますが、幸せに過ごすには流れに身を任せ、縁の中で生きるのが良いのかなと、教員Hは思うのでした。
ストレスフリーは無理な話ですが、ちょっと和らげるにはどうしたらいいか、この言葉がヒントになればいいなと思います。(なんだこれ、啓発本か何かか?笑)
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時のな~がれに身をま~かせ~♪(テレサテン)
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今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。
また次回もよろしくお願いしま~す
ご~きげ~んよ~う!(ばいばいきーん!)