祝🎊正則学園創立125周年
見出し画像

祝🎊正則学園創立125周年

昨日、2021年10月16日をもちまして、正則学園は創立125年を迎えました。

125年ということは、実に1と四半世紀。
明治、大正、昭和、平成、そして、令和。激動の125年を、正則学園は現在と変わらぬ神田錦町の地で、駆け抜けて参りました。

この間に、関東大震災や第二次世界大戦等があり、本学園に関する多くの史料、とりわけ明治・大正期に関する史料はそのほとんどが失われており、我々教職員にもよくわからないところが多々あるのが正直なところです。

この度、創立125周年を迎えたことを機に、今から25年前の1996年に編纂された記念誌『正則学園史-紫紺百年の時を刻みて-』(以下、百年史)を発掘しました。

画像1

史料の散逸による編纂作業の困難さと、100年という歳月の途方もなさ、そしてこの間に多くの皆様の温かいご支援を賜り、今日の正則学園を築いてきたことなどは、当時の編纂委員会も述べているところです。

とはいえ、100年間の重みがあります。この記念誌も実に270ページに及んでおり、そう簡単に読み込めるものではありません。

ということで、この百年史は今後少しずつ読んでゆくこととして、本日の記事では、百年史やネットなどから探れる情報をもとに、簡単にではありますが、正則学園の黎明期の姿に迫ってみたいと思います。

画像2

校祖 斎藤秀三郎先生

正則学園の創立者 斎藤秀三郎は、慶応2年(1866年)仙台藩士で英学者でもあった斎藤永頼の長男として生まれました。幕府から朝廷へのいわゆる大政奉還がなされたのが慶応3年(1867年)、明治に改元されたのが1868年なので、斎藤秀三郎はまさに明治という時代とともに生まれ、日本の英語教育界に維新を巻き起こした一人といえるのではないでしょうか。

斎藤秀三郎は大変な努力の人としても知られており、エピソードに事欠かない人でもあります。Twitterで検索するだけでもいろいろと出てきます。

そんな斎藤は、明治19年(1886年)、故郷仙台に仙台英語学校を創立します。このとき、斎藤弱冠20歳。(((( ;゚Д゚)))

このときの一番弟子が、伝法久太郎という英学者でした。(ちなみに1回生の中には『荒城の月』の作詞者・土井晩翠もいたそうです。)

この伝法とともに新しい英語学校を創立したくてたまらなかったらしい斎藤は、明治29年に東京で伝法と会い、これまたあまりにも熱っぽく、学校創立の夢を語ったのだそうです。

「いまの英語は慶応や同人社流の一種の変則的なものだ。その教え方もしたがって変則的だ。おれは本当の英語、すなわちReadingですぐわかるように教えたい。それには君の力が必要なんだ。ぜひ協力してくれ」

ここでいう変則的な英語とは、ちょうど漢文訓読をするかのように、原文の形を残したまま日本語に置き換えて読む、というスタイルのことを指していたようです。これに対して斎藤は、英語を英語として理解し、使いこなすことを考えていたようです。

このあたりのことについては、こちら👇の記述が参考になりました。

上の伝法との会話には、こんな続きがあります。

斎藤「ところで学校の名称はどうしよう」
伝法「いままでの英語の教育が変則的だというのなら、こちらは正則英語ではどうです」
斎藤「そうだ、それだ、それだ。それしかない。正則、正則、いい名前だ。正則英語学校だ」

こうして、共に新しい学校創立の地を探し回った斎藤と伝法は、ついに神田錦町の地に行き当たり、(日本橋馬喰町の出版社?)興文社の社主・鹿島長次郎の出資を得て、ついに明治29年(1896年)10月16日、今と変わらぬ神田区錦町3丁目(現在の千代田区神田錦町3丁目1番地)にて正則英語学校を開校させました。

画像6

👆 明治21年頃の神田錦町付近

画像8

👆 ちまみに元禄6年(1672年)の地図
たぶんこの向きで合ってると思うんですが・・・現在の正則学園の場所は・・・

ちなみに上述の興文社、コチラ👇の記事にも名前が出てきていました。

正則英語学校の教科書を出版していた会社でもあったんですね。

さて、開校当時の校舎について、百年史にはこうあります。

校舎と言えば聞こえはいいが、その校舎たるやバラック建てにも劣るといった感じの2階建ての建物で、教室は1階3室、2階2室、ガスはもちろん電灯もなく旧式のランプで間に合わせるといったものだった。

開校当初の正則英語学校は、集まった学生はわずか20名程度、教員への給与もロクに出せないような状態で、なかなかに大変な船出だったようです。

さらに正則英語学校の船出にとって大きな壁となったのが、当時人気絶頂の英語学校で、斎藤自身も教鞭をとっていた「国民英学会」の存在でした。

正則英語学校創立の背景には、「国民英学会」の創立者・磯辺弥一郎との対立があったようですが、それにしても正則英語学校の立地の選定は、すさまじく挑戦的なものであったと言うよりほかありません。そこはなんと、「国民英学会」の真横だったのです。

画像7

👆 明治40年の神田周辺地図
地図中の中央やや下に「正則英語学校」、さらにその真下に「国民英学会」が確認できる

それもあって、1年目は大変な苦渋を味わうこととなった正則英語学校ですが、開校の翌年には生徒数が急増し、「明治32年4月には、生徒数は3000人を数えるほどに増え、同種学校の羨望の的になるほどだった」(百年史)というから驚きです。

この頃の神田錦町の様子について、コチラのブログ👆では、評論家で作家の紀田順一郎による以下のような言葉👇を引いています。

明治二〇年代から三〇年代にかけて、東京の二大私立英学校といえばイーストレーキの創設した国民英学会と齋藤秀三郎(一八六八~一九二九)の創立した正則英語学校で、この二校の並び建っている神田錦町界隈は夕刻になると学生の熱気であふれ返るようだった。商店の店員や官庁のボーイなどが押しかけるので、それを当て込んだミルクホールやレストランも大いに繁盛していた。

また、明治39年に正則英語学校を卒業した長谷川康は、『英語の日本』という雑誌に、以下のように記していると言います。

蜂は採る可き蜜ある花に群がる。学生は学ぶ可き実質ある学校に集まる。

これらの記述だけでも、当時の正則英語学校の繁栄ぶりと評価の高さを窺い知ることができますね。

さて、明治29年の開校以来、「バラック建てにも劣る」と言われてきた校舎ですが、「明治33年の春、木造ながら3階建て600坪の大校舎に改築した」と百年史にあります。しかしその直後には、「校舎完成後わずか2、3カ月にして、この校舎は火災により焼失してしまうが・・・ただちに再築に着手。以前にも増してすばらしい校舎を完成させ」たのだとも。

こうして出来上がった校舎が、おそらくコレ👇なのだろうなと思います。

画像3

そしてこの校舎の終焉が、大正12年(1923年)の関東大震災だったようです。百年史には、「校舎が類焼、仮校舎で講義をする」とあります。明記された記述は見当たりませんでしたが、どうもこの「仮校舎時代」は長かったようです。

画像5

👆 関東大震災で被災した校舎
一見無事そうにも見えるが、よく見ると焼け焦げているような?

さらに昭和4年(1929年)、創立者・斎藤秀三郎がガンのため息を引き取りました。正則英語学校の創立から33年目のことでした。「校祖・斎藤秀三郎の死によって、正則英語学校の歴史的役割は一つのピリオドを打つことになった」と百年史は記しています。

校祖・斎藤秀三郎の遺志を引き継ぎ、2代目校長となった村田祐治は、昭和8年(1933年)に「正則商業学校」を開校し、同時に新校舎の建設にも取り掛かりました。3月に着工し、12月に完成。「地上4階、地下1階、採光・通風・保温に対し細心の注意を注がれた当時では壮麗で理想的な最新式校舎であった」(百年史)とのことです。

画像4

👆 昭和8年竣工の校舎(写真の年代は不明)

そしてどうもこのときの「新校舎」が、今の我々の言うところの「旧校舎」にあたるみたいですね。

画像9

👆 1998年の写真だそうです。写真は👇より拝借しました。

こちらのブログも👇興味深いです。
「旧校舎」は戦前建築としても注目されることがあったみたいですね。

画像10

どうやら👆こんな時代も・・・

そして現在の校舎は、平成17年(2005年)に竣工したものです。正則英語学校の創立から109年目、旧校舎の竣工から72年目のことでした。

画像11

👆 百年史編纂時点では、まだ想像できなかった姿かもしれません。

(ちなみに青い頃の旧校舎と現校舎の写真は👇より拝借しました)


そして昨日2021年10月16日、本学園は創立125年を迎えました。

校祖・斎藤秀三郎先生の勉強や教育にかける想いや、正則英語学校の建学の理念など、今日の正則学園を担う我々にとってもまた、是非ともあらためて学び、尊重し続けるべき部分が大いにあろうとは思います。

しかしその一方で、時代とともに社会のあり方も常に大きく変わり続けています。時代や社会が変わりゆくのであれば、学校もそれに対応して柔軟に変化してゆく必要があるでしょう。

なので正則学園は、花を生けてみたり、ミツバチを飼育してみたり、企業と一緒にラジオ番組を制作してみたりと、これからも「どんどん新しくて面白いことにチャレンジ」し続けます。

画像13


変わり続ける正則学園を、今後ともどうぞよろしくお願いいたします🙇

半蔵門線内広告データ


この記事が参加している募集

スキしてみて

学問への愛を語ろう

ma=F
東京都千代田区神田の男子校、正則学園高等学校です。 2021年10月16日で創立125年を迎えた伝統校ですが、どんどん新しくて面白いことにチャレンジしています。