とある教師の独り言~英語と日本語の相違点~
私は、正則学園高校に勤める一教員である。
指導教科は、英語。
名前は…、まだない、と言いたいところだが。
makkiとでも呼んでもらおうか。
「末期」ではない。「マッキー」と読んで(呼んで)ほしい。
今回は、「とある教師の独り言」パート8。
頑張れば、ドラ〇〇もF○も超えられる…はず!
私のこの「独り言」も含めて、誰でも簡単に情報を発信することができるようになった。
この情報過多の時代に、我々人間はどのように情報を取捨選択しているのか。
気になるテーマではある。
さて、今回のタイトルは、「~英語と日本語の相違点~」である。
今回取り上げたいのは、「1人称」の呼称である。
先日、ラジオを聴いていたら、「日本語にはたくさんの1人称を表す言葉がある」と言っていた。
確かに。例えば…、
私(わたし/わたくし)、僕、おれ(オレ、俺)、自分、拙者、我、吾輩、小生、麿、さらには朕などなど。
英語は?「 I 」くらいしかない。
「吾輩は猫である」は、
「I am a cat」
なんとも、中学英語のようなタイトルになってしまう。
世界の反対側の言語なので、違って当然だとは思うが、それは文化が影響しているとも言えそうだ。
よく言われるのは、「欧米は横社会、日本は縦社会」ということである。
敬語の発達も、日本が縦社会だから、と言えそうだ。
言葉が発達するのは、「ニーズに応じて」とも言えそうである。
日本の若者言葉も、「ニーズに応じて」発達したのだろう。
例えば、
読者の皆さんは「り」、知っているだろうか。
初めて聞いた時には、衝撃を受けた。
「り」→了解
なのだそうだ。
(確かに、思い返せば名字がどんどん省略されて「わ」と呼ばれる先輩もいたな…。)
言葉を扱う教科の担当だからこそ、こういう「言葉」の起源とか、「相違点」「共通点」などに敏感になってしまうのかもしれない。
こんなに言葉が違うのに、思いを全く同じように伝えるのはなかなか難しいような気もする。
翻訳機が発達している昨今だが、微妙なニュアンスの違いなどは、まだまだ人間でないとできない業だと思っている。
(それも機械ができるようになってしまったら、商売あがったりだが(笑)。)
他の国の言葉を理解することは、国際化の世の中では大切なことなのではないか、と思う今日この頃である。
そのきっかけに、私はなりたい。
(どこかで聞いたフレーズだな) 今年もヨロシクである。
んっ、「2」ってなんだ???
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