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学於note ~漢詩に触れよう~

ごきげんよう

ご無沙汰してます、学於note(ガクオノート)です。

正則学園のnoteで「へぇ~」となることを提供できたらいいな、の国語編です。

「漢文」をテーマにお話ししています。読んでくれているそこのあなた!いつもありがとうございます!

前回の学於noteでは「干支」の話をして、そこから「寅」と「虎」にまつわる話をしました。

終わりには「虎嘯」から中島敦『山月記』の名前もチラっと上げましたね。

せっかくなので、今回はその話を。


中島敦『山月記』

中島敦は明治42(1909)年、東京都四谷区(現新宿区)生まれ。

漢学者の一族で、父も中学校の漢文教師。

中国古典を中心に、寓話や伝説などを素材とした作品も多く、『山月記』もそのひとつ。

持病の喘息の発作に生涯苦しみ、昭和17(1942)年12月、喘息の発作による心臓の衰弱激しく、33歳で亡くなる。

『山月記』は昭和17年2月に、雑誌「文学界」に掲載された中島敦の文壇デビュー作。中国唐時代の伝奇小説、李景亮が撰した『人虎伝』を典拠としている。

と、ここまでは授業の最初の基本情報。

「撰した」とは「書き著した・書物を編集した」という意味です。つまり、唐時代の李景亮さんが書き著した『人虎伝』という小説を素材にしているということです。

この『山月記』の中に出てくる、今回この記事で取り上げるも『人虎伝』からそのまま引用されています。

あまり内容に触れると、これを読んでくれている(であろう)中学生や高校生の学びの楽しみを奪うことになるので、詳細は割愛しますが、

ものすごーく簡単に言えば、自他共に認める秀才のプライドや自己顕示欲が暴走して、体も醜い心と同じように醜い猛獣の姿になってしまい、自己を破滅させる人間の悲劇の話。

ざっくりしすぎていて国語の先生方に怒られるかもしれませんが、文章中の難しい言葉遣いではなく、プライドや自己顕示欲という言葉に言い換えたら生徒もすんなり受け入れてくれました。

私も高校生の頃、『山月記』の授業は受けましたが、「人が虎になっちゃう話」くらいにしか覚えてませんでした。国語の授業を担当するようになってから読み直し、授業をする度に理解が深まり、今では読んでると泣きそうになります。

昨年度仕事をご一緒した先生も、「『山月記』は年を取れば取るほど感じることが多くてねぇ、切なくなって泣きそうになるんですよ」と仰ってました。


語り始めるとまた長くなるので、ここらで詩の話に移りましょう。

『山月記』の七言律詩

まず漢詩の基礎知識を軽ーくお話しすると、

漢詩は定型詩といい、いくつかの決まりがありまして、

まず五文字で一句とする場合と、七文字で一句とする場合があります。

さらに、それを四句で構成したものを絶句、八句で構成したものを律詩といいます。

つまり、五文字で四句は五言絶句、七文字で四句は七言絶句、五文字で八句なら五言律詩と呼びます。

今回の詩は七言律詩、つまり七文字の句が八つあるということです。さっそく見てみましょう。

律詩になると、2番目3番目の聯(れん)は対句にするというルールも発生します。これは意味を読む中で見ていきましょう。

さらに、押韻のルールもあります。この詩は偶数句末で韻が踏まれています。

逃(とう)、高(こう)、豪(ごう)、嘷(こう)と、「おう」の音ですね。

さらにさらには、平仄(ひょうそく)という音のルールもありますが、高校の授業レベルでは扱わないと思うので、ここでは割愛します。(教員Hは大学で漢詩を作る授業があったので、この平仄に苦しめられました。笑)


さて、56文字も漢字が並んでしまうとそれだけで読みたくなくなる人もいるかもしれませんが、漢詩を読み解くためのポイントを伝授します。

今回の七言詩の場合は、一句を4+3で考えましょう。

五言詩の場合は2+3です。そこに意味の切れ目があるからです。

さらに4を2+2で考えると分かりやすいときもあります。

早速見てみましょう。まず一句目

偶  因  狂  疾  成  殊  類
たまたま きょう しつ により しゅ るい となる

は偶然の偶、つまり「たまたま」「ふとしたことから」
は原因の因、つまり「~によって」
狂疾とは、「精神を病んで狂気に陥った状態」の事。
は「~になる」、動詞なので後の言葉から返って読みます。
は特殊の殊、つまり「常ではないもの、他のものと違うもの、異物」
はそのまま「たぐい、もの」

繋げて読むと、「ふとしたことから狂疾によって、異物(獣)になってしまった」となります。4+3になっていることが分かりますか?

二句目

災  患  相  仍  不  可  逃
さい かん あい よりて にぐる べから ず

は「わざわい」、ここでは外から受ける災難
は「わずらい」、ここでは自身から出た災難
は「あい」、「たがいに」「ともに」
は「よる」、「したがう」
不可は不可能の不可、「べからず」と読み、「~ができない」
はそのまま「逃げる」「避ける」、歴史的仮名遣いで「にぐる」と読んでいます。

繋げると、「災難が内からも外からも重なって、(この不幸な運命から)逃げることができない」これも4+3になっています。

三句目

今  日  爪  牙  誰  敢  敵
こん にち そう が だれか あえて てきせんや

今日はそのまま「こんにち」「このひ」「いま」
爪牙もそのまま「爪と牙」、つまり虎となった自分の爪牙ということ。
もそのまま「だれか」
も「あえて~する」
は「敵対する」

「(虎となった)今、自分のこの爪と牙に、誰もあえて敵対しようとしないが、」
これは2+2+3で成り立ってますね。

四句目

当  時  声  跡  共  相  高
とう じ せい せき ともに あい たかかりき

当時はそのまま「とうじ」「あの時は」と過去のこと。虎となってしまった李徴(りちょう)と友人袁傪(えんさん)は官吏登用試験の科挙に合格しているため、その時のことを指している。
は「名声」「世間の評判」
は「行跡」や「業績」など。
は「ともに」
は上と同じく「たがいに」「ともに」、李徴と袁傪のお互いにということ。
はそのまま「高い」。「たかかりき」という読み方は、形容詞「高い」の連用形である「高かり」に、過去の助動詞「き」の連体形が付いた形。つまり「高かった」となります。

「当時は、私も君も、名実兼ね備えて評判が高かった」

ちらっと対句のことも話しましたが、この3句目4句目の聯は「今日」と「当時」で対になっているわけですね。

五句目

我  為  異  物  蓬  茅  下
われは い ぶつ となりて ほう ぼうの したにあれども

は「われ」「自分」李徴のことです。
はここでは「~になる」
異物はそのまま「いぶつ」、つまり「人ではないもの、虎のこと」
蓬茅は直訳すると「よもぎ」と「かや」ですが、ここでは「くさむら」の意味です。
は「くさむらの下」、つまり「くさむらの陰」、読みとしては「したにいる・ある」という読み方をしましょう。

「私は虎となって(今は)草むらの陰に隠れているが、」

六句目、これも五句目との対句です。

君  已  乗  軺  気  勢  豪
きみは すでに ように のり き せい ごうなり

とは友人袁傪のこと。
は「すでに」。古文でよく出てくる已然形の「已」です。
はそのまま「乗る」
は「よう」と読み、「使者の乗る車」のこと。
気勢、ここでは「権勢、権力と威勢」のこと。
はその気勢が「すぐれている、はなはだしい」こと。

「君はすでに出世して車に乗って、すばらしい権勢である」

虎になった自分と出世した友とを比べている聯ですね。

七句目

此  夕  渓  山  対  明  月
この ゆうべ けい ざん めい げつに たいし

此夕は「この夕べ」とそのまま読みましょう。
渓山は「谷川と山」のこと。
は「~にたいする」「~に向き合う」ということ。
明月もそのまま。

「この夕べ、谷川や山を照らす明月に向き合い」

最終句、八句目

不  成  長  嘯  但  成  嘷
ちょう しょうを なさ ずして ただ こうを なすのみ

不成は「なさず」、つまり「~しない」
長嘯は直訳すると「ながくうそぶく」ですが、「朗々と詩を吟ずること」をいいます。
は「ただ」「いたずらに」、つまり「ただそれだけをする」と使いましょう。
は「なす」
は「獣が吠える」という意味の文字。虎となった李徴の叫び声ということ。

「私は長く詩を吟ずることなく、ただ(悲しみのあまり)短く吠え叫ぶばかりである。」

長かったですね。お疲れ様でした!

読みながら4+3の構造は意識できたでしょうか?意訳の中の「、」の位置と見比べるとさらに分かりやすいかと思います。

さて、改めて並べて読んでみましょう。


「ふとしたことから狂疾によって、異物(獣)になってしまった。
災難が内からも外からも重なって、(この不幸な運命から)逃げることができない。

(虎となった)今、自分のこの爪と牙に、誰もあえて敵対しようとしないが、
当時は、私も君も、名実兼ね備えて評判が高かった。

私は虎となって(今は)草むらの陰に隠れているが、
君はすでに出世して車に乗って、すばらしい権勢である。

この夕べ、谷川や山を照らす明月に向き合い、
私は長く詩を吟ずることなく、ただ(悲しみのあまり)短く吠え叫ぶばかりである。」


この最後の句の中に、李徴の心情が詰まっています。

ぜひ読んでもらいたいのであまり言うのもあれですが、もともと李徴は詩人として名をあげたかったのです。しかし自らが招いた不幸によって虎になってしまい、人間の心が薄れていくことで詩を作ることもできなくなります。その悲しみを、己の運命を嘆いて叫んでいるのです。ただ、叫んでいるといっても人間としてではなく、虎として咆哮しているのです。それが「嘷」です。「長嘯(詩を吟ずる)」と「嘷(短く吠える)」の対比がその落差を際立たせて、李徴の心情、絶望を表現しているのです。


さて、小説の読み方は人それぞれ。これ以上私があれこれ解説するのも良くないのかなと思うのでこのくらいにしましょう。今回の学於noteは、漢詩に触れてほしい、漢詩の読み方を解ってほしいというのがテーマだったので、このあたりで筆をおきたいと思います。(文量も増えてきたので笑)

漢詩は「○+3」、ぜひ覚えてくださいね。

「虎」つながりで『山月記』を取り上げてまいりました。

今回は大事なところを端折っていきなり「詩」を読んでいるので、ぜひ皆さんにも最初から読んでいただきたいです。

次回は「虎」関係なく書かせていただきます(笑)

それでは次回まで、ごきげんよ~う♪

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