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note 公式出前授業「表現力講座」を通して考えたことが、意外にも大学時代の研究のことだったりした話

どうもこんにちは。毎度おなじみド文系な世界史教員ABCです。

ついに!!

念願の!!✨

note 公式出前授業「表現力講座」が開催されましたー ❣❣ (>∇<)

んん? 何のことですか? と、思った方はコチラ👇


そうなんです!
本学園の note 開設時からずっとお世話になっている、note株式会社の公共・教育担当ディレクター 中野麻衣子様 (いつも本当にお世話になっております🙇)に、ついにご来校いただき、1・2年生を対象に、特別授業を実施していただきました ❣❣

そしてなんと!? Σ (゚∀゚ )

あの「教育新聞社」様と「高校生新聞」様にも取材にお越しいただきました!!(スゴイ!ありがとうございます!✨)

それにしても、さっきから「ついについに」と言っているのは・・・

👆 の記事に詳しすぎるぐらい詳しく書きましたがw
本学園が note を開設して32週。えーっと・・・7ヶ月ちょいですかね。

この間ずっと、「いつか実現しないものかな」と待ち望んでいたイベントだったんです❣️

「なぜ?」「何を思って?」の辺りも書いてますので、よろしければ本記事と併せてご覧くださいね ♪


学校の朝は早い

さて、自分が2年F組の担任だからか、👆 の記事ではすっかり書き忘れていたのですが(🙇💦)1年生の進学クラスと2年A組、そして3年生は、この日まで中間テストでした!皆さんお疲れさまでした ❣

特に3年生は、そりゃもうテストだらけだったので、今回の特別授業は1・2年生対象となりました。

ということで、生徒はいつもどおり8時過ぎには登校し、テストのない2年生(A組を除く)は8時40分から、1時間だけテストのあった1年生と2Aは9時50分からスタートの、2部構成で特別授業を行っていただきました!

んん?

8時40分スタートということはですよ!?
note の皆様にお越しいただいた時間はもっと早いということですね ❗❓

はい、8時15分にはご来校いただきました。

学校なので普通のことですが、一般企業の方からすると、8時15分にはどこかに着いていなければならないだなんて、なかなかな話なんじゃないかと💦

もう本当に文字通り、おはようございました(❗❓)

いやいや、ここはふざけるところじゃないな(その見極めは大事 ❗)。
朝早くから本学園の生徒のために御足労いただきまして、本当にありがとうございました🙇💦

ちなみにABCはホームルーム、EMP先生は1年生の出欠確認に行かなければならなかったので、note の皆様のご案内はどうしよう?という問題が。

ここですかさず動き、適切にご案内してくれたのがSN先生!
さすが!頼れる男 SN ❣✨


クリエイティビティについて考える

さてさて。

今回の特別授業ですが、


インターネットで楽しく伝えたいことを伝えてみよう
~情報発信の工夫~


という表題で行っていただきました!

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当日のアジェンダがコチラ👇
 1.noteと創作
 2.テーマを絞ろう
 3.構成を考えよう
 4.タイトルを工夫してみよう
 5.安心して発信するために

note で note社外の人間が、note社のミッションを紹介するのも変な話かもしれませんが(w)note株式会社様がミッションとして掲げておられるのが、「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」こと。

今回のお話の中でも、ところどころに「創作」という言葉が出てきていて、note社が本当に「創作」という考え方を大事にしているのだなということが窺えました。

しかし例えば「創作料理」なんて言葉があるように、「創作」というと、ややもすれば、何かゼロから、独創性の塊でしかないようなオリジナリティ溢れる作品を生み出さなくてはいけないかのような印象をもってしまうことがあるやもしれません。

しかしそこはご安心ください。
どんなに歴史に名を残すような大天才であったとしても、本当に全くのゼロから何かを生み出せることなんて、まずありえません

仮にそんなことができたとしても、少なくとも同時代の人や社会にアクセプトされるとは思えませんw

それに、ゼロから何かを生み出そうとすることは、先人の功績に目を閉ざし、無視しようとすることでもあるかもしれません。

生徒の皆さんの中にも、高校卒業後は大学へ進学する人が多いかと思います。大学では何らかの「研究」をし、多くの場合は卒業論文を書くことになるかと思うのですが、このとき必ず大事になるのが、「先行研究」の調査だったりします。

これなしには、今までに何がわかっていて、何がわかっていないのか、そして自分の研究がその分野全体の中でどう位置づけられるのか、何もわからずに、結局研究の始まりようがないということになってしまいかねません。

巨人の肩の上に立つ」という言葉がありますが、研究に限らず、人類の文化や文明の発展も、必ず前の時代の成果の積み重ねがあって、その問題点や改善の余地に目を向けることから始まります。

言わば、過去に目を向けることは、何かを始めるための出発点なのです✨

おっとっと、何やら壮大で難し風味な話になってきてしまいました💦

これ結局何が言いたいかというと、特別授業の中でも「気をつけること」としてお話のあった、「だれかが書いたものをそのまま勝手に使わない」という部分、つまり「著作権」の部分についてなんですねw

特別授業の中では、「すべての創作物は、だれかのコンテンツに影響を受けたうえで、自分なりにアレンジして作られている」というお話がありました。

その具体例として、「君の名は。」や「天気の子」で知られるあの新海誠氏も、村上春樹氏や角田光代氏の影響を受けて創作活動に勤しんでいるというご紹介もありました。

そうなんです。誰かから(何かから)刺激や影響を受けないことには、創作は始まらないと思うんですね。

例えば、どハマりしたマンガやアニメの主人公の絵を描いたりしたことはありませんかね? あるいは、その作品の世界観を自分なりにまとめたメモを書いてみたりとか。それです!まさにそこから何かが始まるんだと思うんです!

ちなみに僕は高校生の頃、当時流行っていた2ちゃんねる発祥のAA(アスキーアート)と、当時からドハマりしていた世界史の知識とを組み合わせて、「神聖モナー帝国」とかの世界観を勝手に妄想して文章化していたような記憶があります・・・。年代が知れる上に、今となっては少々イタイ思い出ですね (ノ∀`)アチャー

創作じゃなくても、何かを始めたきっかけは、何らかの「出会い」を通して、それに興味を持ったからじゃないですかね?

するともう、そのことが気になってしまって、本で読んだりネットで調べたりしませんかね? そしてついには、誰に指示されたわけでもないのに、調べたことや経験したこと、それらの感想などを書き出したり、スケッチしたりしたことが、皆さん一度はあるんじゃないでしょうか。

自分が好きで、楽しくてやっていることであるならば、それはもう心トキメク、ワクワクタイムであるに違いありません(しかも結果的に自らの好奇心も満たされ、さらに知見も広がっているはず ❣)。

まさにそれこそが、note社様のいう「創作」を始めるということなのではないかなと思います(違ってたらすみません💦)。
そしてそれは、同時に、僕が考える「探究活動」(自分で調べ、考え、表現すること)でもあるように思えてなりません。

そうなんですね。「創作」も「探究」も「STEAM」も、結局同じことを言っているのだと思います。「アソビの中にこそ、マナビの本質がある」って言っている意味、少しおわかりいただけましたかね?w


せっかく人間として生まれたのだから、是非創作を

ところで、今回の特別授業のわりと序盤の方で、こんなスライドがありました。


突然ですが…
正則学園高校のみなさん全員
クリエイターと
呼ばせていただきます


初めこそ「❗❓」って思いましたが、お話を聞いて納得しましたw

曰く、「だれもがクリエイターなんです」と。

(ちなみに note では、note を使って表現する人のことを、著者とか作者とかライターとかではなく、クリエイターと呼んでいますね)

ああ、そうだな。
人間は、実に多様な表現能力(というか可能性?)をもって生まれてきます。そう、まさに可能性は無限大なんですね。

それに、意思や意図をもって何かを表現することは、人間ならではの高度な営みであり、人間らしさの発露でもあるように思います(ちなみにこの言葉は、STEAM の A 、つまり「芸術」について説明したときの言葉です)

要は、せっかく人間として生まれてきて、生きる上で何らかの刺激を受けたときに、創作(クリエイトすること・クリエイション)を始めよう・続けようと思うか思わないか

今、特に何の創作もしていないと思う人も、潜在的にはクリエイターなのですね。

「創作」も「探究」も「STEAM」も。
本来的に、誰かに強制されて嫌々やることではありません(探究の授業は例外ですが、嫌々やっても面白くないですから ❗)

自分自身をワクワクさせるために(👈動機はこれでいいと思うんですよ)、是非一歩を踏み出してみましょう。


「関係ない」と決めつけるのはもったいないですよ、という話

さて、今回の特別授業は「伝え方」のお話だったわけですが、「伝え方」と同様に、「受け止め方」も重要です。つまり、人の話を「聞く態度」ってことです。

自分事として捉える」だとか、「自分事化する」などという言葉を聞くようになって久しいですね(言葉の適切さについては賛否あるようですが)。

ここでも僕は、学生時代のゼミのことを思い出します。

ゼミというのは、同じ研究室の所属学生が集って、研究の進捗を報告し、それについて「あーでもないこーでもない」と議論する場です。

報告している当事者以外の面々からしたら、無理やり質問の内容を考えながら、「他人の発表」を「ただ聞く時間」ともいえますね。

しかし、👆 のように捉えてしまうこと自体が既にもったいないことなのです。

たしかに、他人の研究内容は、直接的には自分と関係ないかもしれません。
しかしその場合でも、関係ないのは具体的な細かい内容なのであって、自分に役立つ要素は、実はいくらでも転がっていたりします

他人の話の中から、常に自分の研究に役立ちそうな部分を探しながら聞く」ということ。

それすなわち、一見自分と関係なさそうな話でも、どこか自分のことと置き換えて考えられないか、ということ。

これは僕が大学で教わった、とても大事なことのひとつです。

そのおかげで、今でも例えば、他教科の授業のあり方であったり、学校教育そのもののような風呂敷の大きな話題であったりの話をしているときには、だいたい「その話、世界史ならどういうふうに応用できるかな」、「それ、とりあえず STEAM でだったら試せそうだな」とか思いながら聞いていたりします。

とはいえ、人の話を聞いている最中に脳内で「自分の世界」を炸裂させすぎてしまうと、話してくれている人に対して失礼であるばかりか、その後の話が耳に入って来なくなってしまい、結果的に自分にとって有益な情報を聞き逃してしまうことにも繋がりかねませんので気をつけて!w

ということで、「伝える」ことも「調べる」ことも、そして「聞くこと」も。

すべて心がけ次第では自分自身の成長に繋がります。
やってみた上で、もし「この経験は自分の成長にまったく繋がらなかったな」と思ったとしても、それはそれで、ではないでしょうか。
一度はその経験と向き合ってみないと、それが自分を成長させるのかさせないのかを、判断することもできないのですから。


最後に

さて、今回の特別授業。
何も 👆 のように考えたからではないとは思いますが(w)、中にはこんな生徒も。

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めっちゃメモしてる!

特に「筆記用具を持っていくように」とは言っていないのですが、この生徒のように自発的に筆記用具を持参し、一生懸命メモしている生徒がチラホラと見られました!

これは我々教員としてもメチャメチャ嬉しい光景 ❣❣

今回の特別授業を通して、「創作」することに興味を持ち、あるいは、「表現し、伝える」ことの楽しさに気付き、どんどんその楽しさを究めていってもらえたら、本当に今回の企画にありついた甲斐があったというものです。

今後は、「実際に note で創作してみたい」という生徒を対象に、言わば「実践編」の開催もご検討いただけるようです ❣

生徒たちののびのびとした「表現」が、今から楽しみでしかたありません ❣ o(>ω<)o

最後になりましたが、お忙しい中、本学園の生徒のために準備から特別授業の実施までご尽力いただいた note 株式会社の中野様、PR担当の金子様、関矢様、取材にお越しいただいた教育新聞社様、高校生新聞様、あらためまして、この度は本当にありがとうございました。

今後とも何卒よろしくお願いいたします 🙇

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