とある教師の独り言~『伝える』方法としての『非言語コミュニケーション』~
私は、正則学園高校に勤める一教員である。名はmakki(マッキー)。
指導教科は、英語。
今回は、「とある教師の独り言」パート10。
来ました。10作目。長い道のりでした。
オリンピックのテーマソングだった、ゆずさんの歌う某曲が頭の中を流れております。
「誰にも~見せない~♪」
おっと、感動しすぎて「ですます調」になってしまった。
自らを見失うことは、一番やってはいけないことである。
ただ、10作目を迎えたので少し変化を持たせたい。
そこで、読み方を「とある教師の独り言(モノローグ)」と読ませることにしたい。
(パクってない…ですよね?)
さて、今回のタイトルは、「~『伝える』方法としての『非言語コミュニケーション』~」である。
以前、「伝え方が〇割」という本が売れた。
ただ、この「伝え方」というのは、(本を読んでいないので違っていたらごめんなさい)「言葉で」という意味だと思う。
SNSが流行っている昨今、「伝え方」は多様化の一途をたどっているように思える。
新型コロナの影響を考えると、ますます多様化してくるのではないかと勝手に思っている。
伝えるためのツールとして挙げるとするならば、例えば「写真」であったり、「ハンコ(英語にしてください)」であったり、「動画(映像)」であったり。
これらの「言語を用いない」コミュニケーションは、「非言語コミュニケーション」と呼ばれることがある。
この非言語のコミュニケーションも、時には必要なのではなかろうか。
言語を扱う教科の担当だからこそ、そのようなところにも意識が行くのかもしれない。
(どこかで聞いたフレーズ…。)
一方で、「実際に会って話をする」時の「非言語コミュニケーション」も大切なのではないかと思う。
会うことによって伝わるものもあるだろうし、単に「場所の共有」が「感情の共有」につながることだってあり得る。
会って話すときの「非言語コミュニケーション」の例としては、「表情」。
最近はマスクをしているので、この「表情」すら読めない時代になりつつある。
悲しいことだ。
また、「ボディーランゲージ」とはよく言ったもので、体の動きも十分「非言語コミュニケーション」と呼べるのではないだろうか。
頷き一つとっても、ただ単に「そうだよね」と共感するよりはるかに「“共感”感」が高まるのではないだろうか。
相手に伝える方法が少しずつ変わっている、このコロナの時代。
我々はどのように付き合い、克服していくのか。
言語のコミュニケーションと非言語のコミュニケーションをどのように活用し、我々は生活していくのか。
難しい時代に突入してしまったと感じている。
我々一人一人が、日本人一人一人が…、
否。
人類一人一人が、考えていかなければならないテーマなのだと、私は思う。