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世界史教員がご案内!よくわかりたいシンガポールの歴史と文化―なぜあんなにも多様なのか―

あれから1年が経ったということで、いま本学園の note では、再びシンガポールがアツい

👆 専用マガジンまで作っちゃいましたw

いや、本当に暑い(気温的な意味で)
ほぼ赤道直下ですからね。12月だろうが何だろうが、とにかく蒸し暑い高温多湿!!

チャンギ国際空港を一歩出た瞬間に思ったのが、「うわっ、ここまで蒸し暑いとは!!」。日本の梅雨とか、比べ物にならないっすよ。

超個人的な話なんですけど、私、とっても汗っかきなんですね ι(´Д`ι)アチィー

私同様に汗っかきの皆さん。
シンガポールへご旅行の際は、「たまには可愛いの着てもいいよね」とか思って、ピンクのシャツなんか着て行っちゃったら、たちまちシャツの上に不思議な世界地図が浮かび上がりますので、お気をつけくださいね (´・ω・`)ショボーン

オモシロイ フク カッタナー (ノД`)シクシク

まーしかし、あれから1年かー。今となっては夢みたいだなあ。

さーて、シンガポールの何を書こうかな

エンペラー先生から、「ABちゃんもシンガポールの記事書くよね?よろしく~✨」と言われたのですが、そのエンペラー先生が、この記事で既にだいぶ書いてるのねーw

そしたら僕は何を書こうかな。そうですね・・・。

飛行機の話からしましょうか。
私、そんなに筋金入りの乗り物オタクってわけでもないですけど、飛行機とか新幹線とか大好きです。

なんだろうなー。
なんで航空業界って、あんなにも都会的洗練されていてスタイリッシュエレガントな感じがするんでしょうね?

え、単に私が田舎者だからですか?そうですか (´・ω・`)ショボーン

それはさておき。
修学旅行でお世話になった航空会社さんは、シンガポール航空(SQ)さんなのですが、これ👇見てください、これ👇!

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スーツケースに付けるタグですね!

Oh!なんてこったい!
SGこと正則学園が、SQカラーになって、まさかの Collaboration!✨

しかもこれが、紙製ではなく、プラスチック製なのかな?
キャッシュカードやクレジットカードのような、固くてしっかりとした作り!

正直、この時点で興奮しますよね! (* ゚∀゚) =3

さらにシンガポール航空機に乗ったら乗ったで、今度はサロンケバヤという、なんともエキゾチックな制服に身を包んだCAさん(シンガポールガールと呼ぶらしい)がお出迎えしてくれます。

CAさんの制服にシンガポールの伝統や文化の薫りがすると、飛行機に乗った時点で、「あ、シンガポール旅行が始まってるんだ」って実感できますよね (^-^)

さてさて。
皆さん、飛行機に乗ったら、決して短くはないフライト時間を、何をして過ごしますか?

映画? それとも、ゲーム??

私は、ほぼコレ👇です。

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そう!フライトマップ

これしか見てないわけでもないですが、これをひたすらじーっと眺めているのが好きです☺️

現在地がわかるので、だんだんと自分が目的地に近づいている感じが楽しめるのはもちろんですが、縮尺がコロコロと変わる中で、周辺諸国の都市名を確認しているだけでも楽しいですし、日本時間と現地時間、飛行距離や到着予定時刻までのカウントダウン、外気温などの情報が常時表示されていて、一向に飽きることがないですよね🥰

さて、ご存知の通り、シンガポールは東南アジアにある島国です。
そして、Tna先生も書いている通り、シンガポールは多民族・多文化・多宗教が共存している国です。

それにしても、なぜ多様な人々が共存するようになったのでしょうか。


東南アジアの簡単な概要

文字入り東南アジア

東南アジアは、大きく分けると以下のように大別されます。

大陸部・・・ミャンマー、タイ、ラオス、ベトナム、カンボジア

このうち、ミャンマーを除く、南シナ海にボコッと突き出た部分が、インドシナ半島です。「シナ」は英語のChinaと同様に、中国の古代王朝「秦」に由来する言葉なので、インドシナとは、文字通り「インドと中国の間」ということですね。

島嶼部・・・マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピン、ブルネイ、東ティモール

タイから南に伸びているのがマレー半島で、シンガポールはその先端にあります。マレー半島の西隣にある南北に長い島はスマトラ島、その南端から東西に横たわっているのがジャワ島です。

東南アジアは南シナ海とインド洋をつなぐところに位置し、ということは、中国とインドの間に位置しており、古くから海上交通の要衝として栄えました。したがって、中国とインド、双方の影響を受けやすい地域でもありました。


島嶼部のインド化

紀元後4世紀、インド北部を統一的に支配する強大な王朝が現れました。グプタ朝です。このグプタ朝の下でインドの古典文化は黄金期を迎え仏教ヒンドゥー教を始めとしたインド文化が東南アジア各地へと波及していきました

東南アジアの島嶼部で、この「インド化」の影響を示す国のひとつが、7世紀頃に成立したシュリーヴィジャヤ王国です。
この国は、スマトラ島のパレンバンを首都としたマレー人の王国で、東南アジアの中継貿易拠点として繁栄しました。

ちなみに7世紀頃の日本は、「飛鳥時代」です。
聖徳太子や蘇我馬子、中大兄皇子や中臣鎌足あたりが有名ですね。

また、この頃、海路でインドを目指した(中国)の僧 義浄(ぎじょう)がこの王国に立ち寄っており、著書『南海寄帰内法伝』の中で、「仏教が大変盛んな国」として紹介されています。

現在のシンガポールが、「海の町」を意味する「テマセック」と呼ばれるようになったのもこの頃なのだそうです。
地図を見るとわかるとおり、シンガポールは東南アジアの中でも極めて重要な位置にありますので、このシュリーヴィジャヤ王国の勢力下でも、やはりテマセックは重要な港町だったのでしょうね。


東南アジアのイスラーム化

インドよりもさらに西側は、いわゆる西アジアです。より一般的に言えば、中東地域ですね。
使い回しですが、このフライトマップ👇でなら確認できますね。

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7世紀前半、👆のフライトマップの左端やや上の方、Mecca と書いてある辺りで、とある宗教が成立しました。イスラーム教です。

その後、8世紀前半までに西アジア全域と北アフリカ一帯、さらにはイベリア半島(現在のスペイン・ポルトガル)にまで勢力を拡大したムスリム(イスラーム教徒のこと)は、同時にインド洋にも進出し、なんと8世紀のうちに東南アジアを経由して中国沿岸部にまで到達し、積極的な交易活動を展開しました。

12世紀以降には、東南アジアのイスラーム神秘主義(スーフィズム)教団の活動が活発となり、現地のヒンドゥー教徒たちがイスラームに改宗するようになりました。

スーフィズムとは、難しい教義よりも神への絶対的な信仰心を重視し、踊りなどの実践を通じて神との一体化(エクスタシー)を求めるものなのですが、これがヒンドゥー教のバクティ運動という似たような実践と結びつき、イスラームへの改宗を推し進める要因となったらしいのです。

ちなみに12世紀頃の日本は、「平安時代」の末期です。
白河上皇以来の院政が続く一方、源氏や平氏と言った武士が台頭してくる頃ですね。


マラッカ王国の繁栄

14世紀末になると、かつてのシュリーヴィジャヤ王国の勢力範囲を引き継ぐような形で、新しいマレー人国家、マラッカ王国が成立しました。

マラッカはマレー半島西岸の都市で、現在のマレーシアの首都クアラルンプールとシンガポールのちょうど真ん中ぐらいにあります。

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そしてマレー半島とスマトラ島の間の非常に狭い海域のことをマラッカ海峡といいまして、南シナ海とインド洋の間を往来しようとするときには必ず通る場所であることから、古来よりとんでもなく重要な場所だったわけです。

15世紀に入ると、(中国)の第3代皇帝永楽帝は、ムスリムの宦官 鄭和(ていわ)に大艦隊を編成させ、南海諸国に対して朝貢(中国の皇帝に貢物を贈って服属すること)を求める大遠征に派遣しました。

そしてこの鄭和の艦隊が補給基地として重視したことから、マラッカは国際交易都市として飛躍的に繁栄しました。

また、交易によりムスリム商人との接触も多くなる中で、タイのアユタヤ朝(仏教勢力)との対抗上、マラッカ国王自らがイスラームに改宗しました。

これが東南アジアで初めての本格的なイスラーム国家となり、これを皮切りとして、イスラームは東南アジアの島嶼部各地に急速に広まっていきました。

今でも、マレーシア、インドネシア、フィリピン南部などはイスラーム教圏ですが(もちろん、シンガポールにもアラブストリートがありますね)、東南アジアにイスラーム教徒が多いのには、こうした歴史的背景があった、ということなんですね。

ちなみに、15世紀頃の日本は「室町時代」です。
6代将軍足利義教の頃から幕府の権威が動揺し始め、応仁の乱でついに日本は戦国時代へと突入しますね。


マラッカ王国時代のシンガポール

14世紀末の時点では、マラッカの王族はスマトラ島のパレンバンに国を構えていた、という説があるのだそうです。シュリーヴィジャヤ王国と同じですね。

ということは、このマラッカ王国、本当にシュリーヴィジャヤ王国の後継国家として、何か繋がりがあるんですかね?どうなんですかね??

その説によると、パレンバンから移動を始めた王族がテマセック(シンガポール)を経由してマレー半島に入り、マラッカの地に辿り着いて建国したのだそうです。

ということは、もしかしてあの伝説このときなのでしょうか。

伝説によると、14世紀末、パレンバンの王子がテマセックにやってきた際、それまで見たことのない動物を見たのだそうです。それこそが、ライオンだったというのです(諸説あり)。その頃のシンガポールにライオンがいそうな気はしないですが・・・。

このことから、テマセックの地はサンスクリット語で、

ライオンを意味するシンハ(shimha)+ 町を意味するプーラ(pura)

で、シンハプーラ(ライオンの町)となり、さらにそれがマレー語の発音でシンガプーラ(Singapura)となった、ということらしいのですね。

もうおわかりかと思いますが、シンガポールのシンボルと言えば「マーライオン」ですよね。あれはまさしく、「海の町」テマセックが、「ライオンの町」シンガプーラとなった伝説を受けて、Mermaid(人魚)と Lion(ライオン)をかけ合わせて考案されたものなんですね💡

そういえば、タイには通称「シンハ・ビール」と呼ばれるビールがありますね。この「シンハ」とは、もちろんサンスクリット語でライオンのこと。
サンスクリット語は、もともとは古代インドの高僧バラモンの言葉で、後に古代インドの公用語として普及したものです。

インドには昔からインドライオンというのがいたそうですが、「百獣の王」とはよく言ったもので、洋の東西や時代を問わず、いつもライオンは「王権」や「」、「神性」などの象徴として神聖視されてきました。

仏教に深く帰依した、紀元前3世紀のインド(マウリヤ朝)の王 アショーカ王は、道徳や倫理観などを表す「ダルマ」に基づく政治理念を石柱に刻み、支配領域の各地に建立しましたが、その石柱の上にもしっかりとライオンが乗っています

ライオンの神聖視はインドや東南アジアに限った話ではありませんが、しかし東南アジアでちょいちょいライオンのモチーフが見られることからも、もしかしたら歴史的なインドの影響が見てとれるかもしれませんね。


いい加減、〆てください

さて、現在、私たちがこの国を「シンガポール」と呼んでいるのは、Singapura の英語表現 Singapore をカタカナ発音したものです。

それというのは、言うまでもなくシンガポールでは英語が話されているからなのですが、でも、なんで英語??

イギリスの言葉やん???

このあたりを探っていくためにも、マラッカ王国以後のシンガポールの歴史を見ていきたいと思うのですが、今回はマジで書きすぎてますね💦

あぁでもシンガポール文化の歴史的多様性についてはまだまだ書きたいことがあるな・・・!!(>_<)

ということで、機会があればまた書こうかなと思います (>_<)

ひとまず今回はこんなところで!💦